“向きなおる”…腰痛編

昨日、藤沢周平さんの時代小説、『静かな木』という短編を読みました。


主人公の元勘定方勤め、現在は隠居の身である布施孫左衛門が、息子の果し合いを機に再び城勤め時代の因縁(=自分の過去)と向き合わざるをえなくなるという話です。息子を助けるため、過去に因縁のある者たちと再会し、旧交を温めたり、誤解が解けたり、溝が埋まらなかったり…と物語は展開していくのですが、なかなか骨太な話でした。


この小説を読むきっかけとなったのは、ある方のお話でした。


60歳代男性 主訴:半年くらい前から続く腰・下肢痛 ~この方は、現在は会社を定年退職されているのですが、半年ほど前に腰を痛めてから整形や鍼に通い、現在症状は10→5くらいにはなっているものの、そこから今ひとつ変化が見られなくなったとのこと。一通りの病歴(4年前に大腸ポリープを取っておられました)などをお聞きした頃、



「あの…変な話なんですけれど…」


と、前置きされた上で、最近、上記の本を読んでからというものの、企業人時代にご自身が取った行動や振舞いによって、周囲の人を傷つけてしまったエピソードが脳裏に甦って自責の念に駆られるというのです。


その時の立場や雰囲気などによって、やむなく下した決断であったり振舞いであったとしても、今、一人の人間として振り返ると…



「いっそその人達に会いに行こうか…」


「変な話…」とおっしゃいましたが、私はとても感心しました。企業人として大きなプロジェクトに関わるなどの活躍をされた方ですが、そんな脚光を浴びる華やかな仕事とは真逆の「自分自身と向き合う」という地味で辛い作業をされるというのは、すごく勇気がいることだと思います。


この方の場合、病院でのリハビリで関節と筋肉に刺激が入れられています。続いて鍼灸院では内臓の影響で発症している可能性を考えたのか、鍼で胃腸にアプローチしています。


以上を半年かかって10→5に変化。ここ1,2ヶ月は変化無し。確かに私がみた感じでも、もう少し改善が進んでいてもよさそうですが、それを阻んでいるものがあるとすれば…心因的な要素?


もし無意識の領域に抑圧された不快な感情が存在すると、その感情に直面しないよう防衛機制として、何らかの身体症状が現れる場合がありますが、私が思っている通りだとすると、この方は無意識のうちに自分でセラピーをやっていたことになります。それも、身体(結果)へのアプローチよりも、より“みなもと(原因)”に近いところで。


私としては、対症療法になるかもしれないことを承知で(ご本人にも了承を得ました)、内臓整体と経絡を使って調整したところ、10(施術前)→3,4(後)には変化しました。



わたし「今ご自身でやっておられるその作業、是非続けてくださいね。必要であれば手伝いますし。…人生の大先輩にこんなこと言うのも何ですけど、自分の“負”の部分と折り合いがついてくると、もっと自分のことが好きになりますよ。」


男性 「(!)…自分のこと好きになるって、…大事ですよねぇ!(共感)」


はい、すごく大事やと思います。



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心理的要因によって身体症状が現れるのはきわめて正常だということを周知徹底させなくてはならない。その理由は明らかだ。日常生活にストレスや緊張を感じない者はいない。まじめで善良でありたいと思えば、なおさらだ。


「ごく普通の」人々が常にストレスにさらされ、無意識下に絶え間なく怒りや憤怒を発生させている。~


  『心はなぜ腰痛を選ぶのか―サーノ博士の心身症治療プログラムhttp://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=0limits-22&l=as2&o=9&a=4393713532』 ジョン・E・サーノ著 長谷川淳史監訳 浅田仁子訳 春秋社刊より


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