看取り

義理のお母さんが“看取り”の段階に入っている私の友人から、メールが届きました。



“~この数日もいろいろありました。検査や処置が痛いとお医者さまを怒鳴り付け家に帰るとひと騒動・病室での飲酒…


~物忘れひどくなったり、周囲への批難や悪口とかもひどくなっててね。こういうの祖母のときは受け止め切れなくて病室で何度も泣いたなぁ…とか思いつつ対処してたりします。


~義母の自尊心と病気と認知症のバランス取りながら進むしかないんだけど…”


 


人生の最終段階…本人も周りも簡単じゃないですよね。私の友人も以前の経験(お祖母さんの時の)を生かして気丈に立ち回っていますが、やっぱりしんどいと思います(お疲れさまです)。


エリザベス・キューブラー・ロス博士(2004年没)によれば、人生の最終段階の心理的プロセスは、



1.否認→2.怒り→3.取り引き→4.抑うつ→5.受容


を辿るとのこと(死の五段階説)。


実は2月に、この友人のお義母さんを見舞わせてもらったのですが、そのとき「わたし、病気のことはようわかりませんねん」とおっしゃってました。主治医の先生の説明にも終始そんな、どこか他人事のような調子だったそうですが、その友人と



「わからないんじゃなくて、わかりたくないんちゃうかなぁ…とても受け容れられへんから。」


「…私もそう思う。」


というような会話を交わしたのを覚えています。あのときが「1.否認」の段階だったとすると、今の荒れっぷりは「2.怒り」の段階なのでしょう。


 


友人の言うところの「ソフトランディング(5.受容)」に一歩前進してはいるのでしょうが…やっぱり大変やと思います。


こういう「医学的にできることはもう…」って言われた後のことって、正解なんか、ましてや適切な対処なんて無いと思うんですね。


ガチで向き合って「これでいいんかな?」って、問い続けるしか…。



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「~否認の段階とは対照的に、怒りの段階は、家族やスタッフの立場からすると非常に対応がむずかしい。なぜならこの怒りは見当違いにあらゆる方向へと向けられ、あたりかまわず周囲に投射されるからだ。


~おそらく私たちだって、こんなにも早く自分の人生が中断されてしまうとしたら、きっと怒るだろう。もし建て始めた家が未完成で、だれか他人の手で完成されるとしたら怒るだろう。」


死ぬ瞬間―死とその過程についてhttp://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=0limits-22&l=as2&o=9&a=4643980230』 E・キューブラー・ロス著 鈴木晶訳 より


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