一里塚?

患者さん「もう、そんなん“死出の旅路の一里塚”ですわ(笑)。」
わたし 「…何ですか、それ?」

昨日来院された女性ですが、話の流れで5/31に75回目の誕生日を迎えられたことがわかり、“おめでとうございます!”と申し上げたところ上記の会話が交わされました。

死出の旅路の一里塚”は、一休和尚の歌からの引用だそうですね。
(正月だの誕生日だのと)年を取ったところでそれは死へと一歩近づいただけのことで、“目出度くもあり、目出度くもなし”…特に感慨深くもない、という心情を詠ったものなんだそうです。

恥ずかしながら、初めて知りました。


人生の大先輩ともいうべき方にケアをさせていただく機会がありますが、何気ない会話の中にも色々勉強させていただくことが多いです。

私がケアをするのは痛みや不調を訴える肉体であると同時に、大正・昭和・平成をくぐり抜けた肉体…+αでもあるわけです。


それは、七回にも及ぶ夫の転勤に付き従い、全国を経巡った日々。

それは、「お前はできる子や」と身体の不自由な弟に、溜め池で泳ぎを教えた日々。

それは、土地の奉納相撲で、向かうところ敵なしの日々。

それは、大都市神戸からこの交野に嫁ぎ、「派手な女」の烙印を押され、カエルの大合唱を聞きながら涙した日々。

それは、フィリピンのミンダナオ島で、幼い弟妹たちを連れジャングルを逃げ回り、捕虜となったその収容所で、生き別れとなっていた父と再会した日々。


人生の大先輩方に接していると、「ケア」という言葉の重みを感じざるを得ません。


「せんせ、またお願いしますね。さいなら。」

…はい、よろこんで。




「おまえはわしを見る。
 するとそこには、ただの醜い老いぼれがいるだけだ。
 だが、そんなわしの内部には、偉大な美が満ちている。

      オールドマン・バッファロー・グラス(ナヴァホ族)」

それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダムhttp://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=0limits-22&l=as2&o=9&a=4839700958
 ジョセフ・ブルチャック編 めるくまーる社刊 より