漂泊の歌

昨夜、NHK総合の「ドキュメント72時間 」という番組(再放送)で、山谷(東京)の簡易宿泊所を溜まり場にしている外国人旅行者を取り上げていました。

当然登場するのは、宿代を安くあげようとする各国から来たバッグパッカーの若者達でしたが、みんなそれぞれの“あがきっぷり”といいましょうか、自分自身の“持て余しっぷり”といいましょうか、何ともいえない共感と懐かしさを感じました。


私も以前は旅行が好きで、色々なところに行かせてもらいました(数えたら16ヶ国でした)。
むか~し、むかし、二十世紀のはなしですけれど(笑)。

当時(日本がバブリーな頃)は“こんな窮屈なウソくさい国で死んでたまるか!”とか思って、地図帳を見ていれば何時間でも過ごせませたが、私もかなり自分を持て余していました。

自分の外側に、この街の、この国の外側に答えはある

…と信じて、まさか窮屈にさせているのが当の自分自身だとは、その時は考えもしませんでした(笑)。


今思えばパスポートを持って、地球の反対側まで自分の尻を追いかけに行ってたんだと思います。
それも必要なプロセスだったんでしょうけれども(純粋に楽しかったですし)。


そういえば慢性疾患などにより、図らずも治療院巡りに陥ってしまったような方、特に心因的要素を感じさせる方に接していると、

“その治療法を訪ね歩くエネルギーを、ご自身にもベクトルを向けられたら…”

正直そう思う事はあります、が、…それもプロセスなんでしょうね。
患者さんより先に焦れる私がいます(反省。しっかりお付き合いします)。


現在の東京を堪能する、異国から来た彼らを見ていてそんなことを思いました。 


そして現在の私自身ですが、見事、お世辞にも立派とはいえない大人になりました(笑)。
“あがきっぷり”は多少穏やかになったかもしれませんが…(相変わらずあがいとります)。

 

               漂泊の歌

       ~世に年たけて猶(なほ)、夢多いのが悲運。
        徳を懈(おこた)り、なりはいのすべてをしらず、
        みち足ることなく、女たちの腕(かいな)もすりぬけて、
        ただひたすらに胸ををどらせた。―旅のいざなひ。
                       
          
           『金子光晴詩集http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=0limits-22&l=as2&o=9&a=B000J96L8C』 白鳳社より